我慢すること

2016_05_15 Patience

ここ数週間の間、移動の嵐でした:
モンゴル→日本→カナダ (中心地に3時間) →チリ→日本→モンゴル
そしてその際に、長時間のフライトからの腰痛(チリまでの片道合計50時間)、モンゴルビザの問題、住宅の問題等、いろんな問題を抱えました(それもあり、ブログ更新ができませんでした)

予定通りにことが進まいなく、問題が生じるはいたって普通のことだと思います。実際、人生とは問題だらけです(大きかれ小さかれ)。問題が生じたとき、我々の対処としては、何かする、じっと我慢する、何もしない等が挙げられます(我慢と何もしないのは少し違うと思います)。今回は、我慢することについて考えてみましょう。

英語やスペイン語などのラテン語派生言語では、”Patient“というのは大きく二つの意味があります: (1)治療を受けている人, (2) 苦痛や困難に直結しながらも、特に文句を言わずにじっと我慢すること(Dictionary. comより訳) 。お互いに共通しているのは、問題や苦しみに向き合うということで、それもそのはず、この単語はラテン語のpatī“という、苦しむという言葉から派生しているからです。

苦しみや問題と直面するとき、何らかの行動を起こすかじっと我慢する、耐えて、耐えて、耐え忍び、その後また行動を起こすかをすることで、問題が解決されたり失敗する(学ぶ)ことになります。以下の図のような感じでしょうか。

2016_05_15 patient

上記の絵を描いた理由といえば、苦しみ我慢するイメージが、じっと座ることと繋がり、それが仏教の考え方を連想させたからです。そこまで宗教的なタイプではないですが、以下の3つの点から、仏教の考え方には興味があります:シンプルなものに価値を見出すこと;禅仏教の瞑想の大事さ、そして仏教の基本的な教え「人生とは苦しみが関わるもので、人間の欲がそれを増やす傾向にある」という考え方には同意すること。

端的にいうと、我々は問題を抱えることは自然であり、落ち着いて、時には座り(例:瞑想)、じっと我慢することが大事ではないかということです。そして、我慢することは、外部的要素というより、自分の内部から生じるべきではないかと思います(他人から我慢しろというよりは、自分で決めた方が意味がある)。

今回学んだのは:
人生とは問題が山積みであり、我慢することで、その対応の仕方を教えてくれるかもしれない。

読んでくださってありがとうございます。コメントや講読、歓迎です。.

我慢すること」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: Time has come | MD NO SUSUME

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