多様性における経験がインクルーシブな社会への鍵

先日、障害者をどう社会にインクルージョンするかに関するワークショップに参加し、インクルージョンに関する考えが少し変わった学びを得た機会になりました。

インクルーシブ教育

このイベントに興味を持った理由として、インクルーシブ教育のプロジェクトを立ち上げているからでした。インクルーシブ教育の定義は様々ですが、私の中では、性別、民族、母語、障害、貧困など関係なしに、全ての子どもが同じ場所で学ぶことを促進するもので、もちろんそれに伴って教師や保護者のトレーニングや啓発が必要となってきます。

インクルーシブ教育における傾向

実は、このイベントに関しては少し懐疑的な意見を持っていました。というのも、障害者のみに焦点を当てたものがインクルーシブ教育という傾向になりがちだからです。本当のインクルージョンとは、皆を一緒にするものであるべきと思っています。

学びは予測しない頃にやってくる

ただ、冒頭でも述べましたが、とても大切なことをこのイベントで学びました。興味深いことに、実はイベントのセッション中に得た学びではなく、その合間のお昼ご飯のときに得た学びです。

その前に遡ると、ワークショップの一環でグループワークがあり、聴覚障害者の会代表の方とインクルージョンに関する議論を、2人の通訳(一人は手話ーモンゴル語、もう一人はモンゴル語ー英語)を介してしていました。その後、代表の方が昼食中も私と議論を続けたいということで、快く引き受けました。ただ、昼食時のテーブルは4人(私、彼、2人の通訳)座れるスペースがなかったので、手話と英語が両方できる人をしばらく探していました。幸運にも両方ができる人が一人だけいたので、その人に相席していただけることになりました(すでに他のテーブルでご飯を食べ始めていたにも関わらず)。

その方を通して、とにかくインクルージョンや障害、または聴覚障害者の課題などについて多く話し合いました。そこで気づいたこと、学んだことの大きな3つは以下の通りです:

  1. 通訳の方なしでは、聴覚障害者の人とコミュニケーションがとれず、逆も然りであり、普段の生活の中で手話ができる通訳はなかなか身の回りにいないということ。
  2. 通訳の方は両手と口を動かし続けていたため、全然ご飯を食べることができなかったということ。
  3. 障害のないと言われる人にとっては、多くのリソースがそういう人たちにしかアクセスできない事実になかなか気づくことがなく、同様のことは障害だけでなく、他の特別なニーズに対しても然りであるということ。 

今回いろいろ学ばせていただいたので、この機会に感謝するばかりです。通訳の方のおかげですが、彼女は結局、冷え切ったスープを飲むことになってしまい、申し訳ない気持ちもありました。

兎にも角にも、学びというのは、予想しない瞬間にやってくることが多いのかなと思いました。

経験はインクルージョンに向けた鍵

元々インクルーシブ教育に興味を持ったのは、中南米という多くの少数民族がいる地域で同分野のプロジェクトを担当したからです(だからこそ、障害者のみではない様々なニーズを受け入れるインクルーシブ教育に興味があります)。

今回のこの聴覚障害者の方とのランチの経験から、これからプロジェクトで作るビデオなどは、すべて音声と字幕を同時で入れようと思いました。もし他の人からなぜ両方入れているのかと聞かれたら、社会のニーズに少しでも対応しようとしている、と伝えることで、一般的な啓発活動になるのではと思ったからです。

一方、よく思うとこのブログというツールも視覚障害者に優しいものではないということに気づき、今後はなるべく音声も入れていこうかと思いました(やり方はまだわかりませんが)。

今回の学び

新しい経験は学びにつながると同時に、自分が当たり前と思っていたことが当たり前でないということにも気付かせてくれるので、多様性における経験がインクルージョンへの鍵になる。


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