4つの映画における共通のテーマーあるべき姿

最近4つの映画を見て、感動で涙しました:

(1)マドリードの戦いたくない闘牛(2)街の向こう側で自分の居場所を発見した大きな黒人の青年(3)ロンドンの喋るくま (4)ニューヨークにおけるユニークな人間のショー。

それぞれ全く違う映画ですが、「あるべき姿というイメージは、気持ちと行動が備われば変えることができる」という教訓を持つといった一つの共通点があります。

Ferdinand

こちらはマタドールと闘牛の繰り出すショーが伝統でもあるスペインにて、闘牛ファームに生まれ育った牛の話です。ただ、フェルディナンド(主役の牛)は闘牛になりたくないという気持ちが強く、別の道を探し始めます。そこに待ち受けていたのは・・・

The Blind side

この映画はある街の異なる二つの生活(白人がメインのエリート層と、黒人がメインのプロジェクトエリア)を対比し、どちらに属するかで、ある(なす)べき姿が決められがちであるということを描写しています。主人公の大きな黒人青年は複雑な家族の過去を持っていますが、幸運な機会、良き理解者や教師、そして努力のおかげで、自分が本来「属さない」側で自分のやりたいこと(アメフト)を見つけます。

また、偶然にもこの青年は人を攻撃したくないという性格のため、上述の映画にも出てくる戦わない闘牛にちなんで「フェルディナンド少年」とも呼ばれます!

Paddington 2

前回のバージョンも好きでしたが、今回のはより感動的です。この映画は、喋るクマが紳士になるように育て上げられ、ロンドンに行き着いては親切な家族と出会ってから起こる色々なトラブルを描いています。

この映画の教訓としては、優しさとは時には弱さやネガティブなものとして捉えらえることがありますが、紳士を貫き通すことで、周りのどんな人でも繋げることができるということです。

The greatest shoman

こちらは、一人の貧しい男性が、ショービジネスを夢見て、異なる特技や見た目を持つ人たちを集めてサーカスを始めて聴衆を魅了するといった、実話に基づいた話です。映画の中の歌もどれも感動的です。

(今も昔も)世間では、異なる人を差別するという傾向は昔からあり、それらの人たちは特異性を隠さずにはいられないという構図が出来上がっていました。ただ、それぞれが持つ違いを容認し機会を提供することで、それらの「異なる人」と呼ばれがちな人たちに尊厳を与え、違いをもとに周りを魅了することが可能です。そもそも、違いがあって当然、逆に違いがないと面白くないですよね。

考えてみると、映画とは単なる娯楽ではなく、我々にとても大切なことを教えてくれるツールでもあります。というより、あるメッセージは、映画などの媒介を通して印象的に伝達することで、より強いものになるものだと思います。

今回の学び

時折我々は「ある/なすべき姿」と偏見のイメージを抱くことがあるが、実は人々を魅了するのはユニーク性、クリエイティビティ、パッションといった偏見イメージから外れたものであるため、目的とやる気さえあれば、それらの偏見を変えることができる。


 

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