ケニア 6ー アフリカ脱出の対コロナチャーター機からの学び

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ケニアから出るという人生における大きな決断をしてから、(他の多くの国と同様に空港はCOVID-19により閉鎖されていたため)長い間ケニアを去る機会を待っていました(実際のところ1-2ヶ月くらいでしたが、心理的にはもっと長く感じました)。

一部の政府機関/大使館はチャーター便を手配して市民を帰国させましたが、その連絡も短い通知で行われ(例:3日〜1週間)、筆者のような完全帰国するつもりの人には、家の引き払いや出発の準備などを考慮すると、かなりタイトなスケジュールです。

仕事上、国連人道支援フライトに乗ったことが何度かありますが、今回のような一度限りの緊急便に乗ったことはありませんした。 チャーター便に乗る機会というのはそう何度もあることではないので、COVID-19のコンテキストにおける緊急チャーター便使用から学んだことを共有したいと思います。

チャーター便とは何か、誰がどう手配するのか

チャーター便とは、第三者に代わって航空会社が飛行機を運航するもので、今回はケニアの韓国大使館が手配しました。企画者の大使館が価格の設定、飛行機の搭乗等、フライト運用以外のすべてを完全に担当していたようです。

今回のチャーター便に関するプロセスは以下の通りです:
韓国大使館がカタール航空との運航に合意した後、ケニア国内の韓国市民に連絡を取り、その後にいくつかの他の大使館に優先的にシートを提供しました(カタール航空のオペレーターとの電話によると、ありがたいことに、日本は韓国と色々と2国間関係で色々とあるにもかかわらず、優先国の一つでした)。

同フライトに関する情報は、フライトの1週間前に筆者の大使館(日本)から届き、そろぞれの大使館がその韓国大使館と調整をとっていたようです。

以下は、バタバタした1週間のタイムラインです。

準備

  • 6月10日(水):2つの便 (1) ナイロビードーハ(カタール)と(2) ナイロビードーハー成田のオプションに関するお知らせを受け取り、希望者は迅速に事前の申し込みを行われなければなりませんでした。
  • 6月12日(金):事前申し込み締め切り日(先週の木曜日に先着順と思って発送しました)。同時に出国準備を開始(ムービングセール、仕事のまとめ、家にある食材の処理・調理)
  • 6月13日(土):日本大使館から、希望人数が最低人数に達したためフライトが運航される旨の連絡を受けました(現時点ではまだ航空券は予約されていなかったため何も保証はありませんでしたが、乗れると信じて家主に契約打ち切りの連絡)。
  • 6月15日(月):日本大使館から「先着順」という注釈とともにフライトの予約リンクが送られてきたため、最優先して航空券を予約。 Eチケットは発行されたものの、座席の確認が確定できなかった(なぜか二人の予約のうち一人だけの座席指定ができた)ため、懸念が残りました。価格は、ドーハ経由の成田への一人当たり1750米ドルでした。
  • 6月17日(水):前日。何度もカタール航空に連絡したものの、座席は確保できず。出発の4時間前に来れば何とかなると、最後までアフリカのゆるい感じが出ていました。


「私の家族と会うために飛行機に乗ることは、この困難な時期に私がしたかった最も大切なことなので、これを調整してくれた韓国大使館の寛大さに本当に感謝します」
(韓国大使館へのインタビューのためのアフリカ人(予想)乗客のコメント)

  • 6月18日(木):出発日。愛する家と犬に別れを告げた後、空港へ。

    4時間前に到着したにもかかわらず、空港前に大きな列ができていて、外で1〜2時間待っていました(色々聞くと、座席指定ができなかったのは筆者のみくらいとのことで、システムエラーかと)。
    Once I went inside, I saw many Asian people with the uniform with “the embassy of South Korea” interviewing/shooting some passengers’ comments, and one interviewee cueing behind me said something moving “Traveling to gather my family is the most needed thing I wanted to do in this difficult time, so I really appreciate the generosity of the Embassy of Korea for organizing this”. After checking-in, finally we could get on the plane, which was really full. The flight attendants looked very different from normal time.
    中に入ると、「韓国大使館」の制服姿のアジア人が乗客へインタビューしていました。後ろにいた一人のアフリカ人(予想)が「私の家族と会うために飛行機に乗るることは、この困難な時期に私がしたかった最も大切なことなので、これを調整してくれた韓国大使館の寛大さに本当に感謝します。」とまさにごもっともなコメントを投げかけていました。 チェックイン後、ようやく飛行機に乗れました。 客室乗務員は通常時とは非常に異なって見えました。


    飲食サービスが出てきたときは、入院中の気分でした。
     
  • 6月19日(金):満席だったナイロビ-ドーハ便とは異なり、ドーハ-成田便は本当に空でした(下の写真を参照)

    そしてビジネスクラスのシートも空でした!

    やっとこさ、ナイロビから合計20時間の飛行を経て無事に日本に到着しました。 公式の厳密な発表とは異なり、入国手続きはかなり緩やかでした(距離を置いて座っていたところ、医療従事者が1人ずつ呼んでは出発地と通過場所を相談していました)。 ケニアは禁止国の1つではなく、トランジット(カタール)は考慮されないため、非常に迅速に(10分)出ることができました。
  • June 20 (Sat): As we were not supposed to use public transportation including domestic flight, and the only available flight was to Narita, I had to ask my parent to drive all the way from Osaka to Narita airport (9 hours of drive). As I did not want to bother my father too much, I offered to drive. 9 hours of the drive after 20 hours flight was quite tough, but finally we made it to Hyogo (my grandma’s old house). 6月20日(土):国内を線含めた公共交通機関を利用することは想定されておらず、ケニアからは成田行きの飛行機しかなかったため、実家の父にはるばる大阪から成田空港まで車で行くように事前に懇願しておきました(車で9時間)。 かなり疲れていましたが、父にこれ以上迷惑をかけたくなかったので、運転を申し出て、前代未聞の 20時間のフライト+9時間ドライブを実施し、ようやく兵庫(亡くなった祖母が残した家)に到着しました。旅の道中、修学旅行中に学校の先生がよく言っていたフレーズを思い出しました。

「家に帰るまでが遠足です。」

振り返ると、これまでにはないスケールの遠足でした、そして多くの人々(例えば、韓国大使館、日本大使館、カタール航空、父など)の助けがなければ、家に着くことなど到底できなかったので、この恩を誰かに返したいと思います。

今回の学び 

COVID-19の緊急チャーター便に乗った経験から、困難な時期に互いに助け合うことの大切さ、そしてこの長い遠足に関わった多くの人々から受け取った恩恵を返す必要があるということを学びました。

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