先日、障害者をどう社会にインクルージョンするかに関するワークショップに参加し、インクルージョンに関する考えが少し変わった学びを得た機会になりました。
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予期せぬ出会い
つい先日、素晴らしい出会いがありました。日本ならほぼ皆知っているであろう、『五体不満足』の筆者、乙武洋匡さんがモンゴルはウランバートルに来て、新しい本屋ができた記念イベントにて、モンゴル語で訳された彼の本について講演しました。
更に、このイベントには、モンゴル人の元横綱、朝青龍さんも来ており、正に2つの予期せぬ出会いでした。
インクルージョンは障害だけがテーマではない
インクルーシブ教育は単に障害を持つ子どもだけのテーマではなく、全てのマイノリティーを差別せずに通常学級に入れ学びを促進させることである。
以上が簡単なインクルーシブ教育の定義ですが、それでも前者(障害)に限定しているものが多いように思います。そこで今回は、違ったタイプのインクルージョンについて紹介したものを”Teacher Tuesday”で見つけました。
Teacher’s Tuesday は、”Global Monitoring Report(ユネスコ)によるソーシャルネットワーク用キャンペーンであり、2月25日から10週間(毎週火曜日)世界中から選ばれた10国の10人の教師を紹介し、彼らの職場におけるストーリー・やる気・挑戦などを共有するものです。詳細については以下のマップに載っています。
小学生が伝えるインクルーシブ教育の意義
「うーん、今言ったこと理想だけど、実践は難しそうだね」
インクルーシブ教育について話すときは、多くの人がこう言います。もちろん、現状を変えるのはとても難しいと思います、その変化の重要性を実感しない限りは。
大事なのは、どのようにその重要性を伝えるかだと思います。
たくさんのメディアの媒介(本、雑誌、200ページのレポート等)がはびこっていますが、「これはいい。」と思うものを見つけました—実際の子どもたちがコンテストを通してインクルーシブ教育の重要性を語るというものです。
完璧な人間
人権か実践かーインクルージョン
無意識に・・・
突然ですが、差別した経験、された経験はありますか?
恥ずかしいですが、自分はされるよりした方が遥かに多いと思います。
無意識にですが、育った環境、経験、教育等を通して我々は誰かを差別する(またはしない)傾向にあります。
無意識の差別というテーマでおもしろい実験を発見しました。内容は単純で、以下の3人の異なった人が他人の自転車の鍵を無理やり壊して、通りすがりの人はどう反応するかというものです。
1: 黒人少年
2: 白人少年
3: 金髪少女
結果は以下の通りです。
1: 「何をしてるんだ」と皆に質問され、最後には警察に電話される。
2: 「何をしてるんだ」と皆に質問されるが、結局は何も起こらない。
3: 「助けてあげようか」と尋ねられ、助けを受ける。
(実験対象が少なすぎますが)このケースは、無意識に人は差別をしているというのを促しています。
また、話は変わって、インドのインクルーシブ教育(障害児、黒人、田舎出身など、排除されがちな人たちを「普通」学級に入れるというもの)について、「障害児に対してのイメージ」のテーマでの記事を見つけました。
親、教師、その他の学校職員の中で、障害児に対してネガティブなイメージを抱いているのは、若い教師、院卒、経済的に豊かな教師達だということです。そして、それらの多くは自分の家族に障害を持つ人がいるとのことです。自分の家族に障害を持つ人がいれば、インクルーシブ教育に対して疑問を抱くのでしょうか。
実際、自分がインクルーシブ教育の分野で働く前は、特に障害を持つ人に注目し、心を寄せることなどありませんでした。単純ですが、今ではすっかりインクルーシブよりです。
理想としては、誰にたいしても差別を決してしないということです。その目標のためにも、差別をするべきでないという十分な知識、経験、そして教育が必要だと思います。その上で、
インクルーシブ教育は、3つの全てを兼ねている鍵のようなものです。