教育の歩む道

モンゴルに来てから、一度も自分の仕事のテーマ(モンゴルの教育)について書いたことがありませんでした。先日あるイベントに出席し、この国の教育の過去・現在・未来について考える機会がありました。

基本的には、教育は教師と生徒という二者が存在すれば成り立つと言われています。このイベントー大学の95周年記念ーは両者を網羅するものでした。というのも、これは教育大学で、生徒を教師に養成するための機関だからです。

過去:95年の歴史

とにかくたくさんの偉い人がスピーチをしては、この1世紀の歴史について話していました。20世紀のモンゴルでは、「知識」は当時欠けていたこともあり、教師という職業は、知識の象徴ということもあり、とても神聖な職業だとみなされていました。

現在:課題と成功

今日では、教師という職業へのイメージも大きく変わりました。その背景の大きな理由の2つは、(1) 技術やインターネットにより、(ほとんど)全ての情報が入手できることや、(2)200年以上前の古い教育モデルを未だに使用し続けていることです。

さらに、現在モンゴル全国で、教師によるプロテストが起こっています。主な要求は、給料の底上げで、160万MNT(約7万円)という、1年目の教師の月給の約4倍の給料(最低賃金に近い)です。このケースが示すように、とてもではないですが、教師という職業の社会の中で地位が低いことがわかります。

話をイベントに戻しますが、たくさんのスピーカーの間をかいくぐって、一人の男性がステージに上がってマイクを取り上げました。どうやら酔っ払っているように見えますが、彼の言っていたことは筋が通っているようにも思えました。「みなさんこんにちは!どうして偉い人たちしかスピーチできないんだ。俺もこの大学で昔働いていた。言いたいことがあるから言わせてくれ。お願いします。(警備員が止めにかかり、追い出す)言わせてくれーーーーー!」

もし教育制度が表現の自由を促進するなら、なぜ彼にもう少し話す機会を与えなかったのか。この質問の答えは、誰もその後ステージにいる偉い人たちは触れませんでした。

将来:これからの教育

もし教育に多少は精通しており、今後の状況を理解していれば、これからの教育の方向性がいかに不確実なのかはすぐにわかります。なぜなら、こうあるべきだというモデルがないからです。強いていうなれば、21世紀スキルと言われているような、創造力・批判的思考・表現力・グリット(パッションや我慢)などを育てるための努力をしていくべきといったところでしょうか。

要して、このイベントではモンゴルの教育の過去・現在・将来について考えさせられました。また、このトレンドは、ほかの国でも当てはまるとおもいます。

今回の学び

我々の社会が変化し続けるように、教育制度も常に変わり続ける必要があるにもかかわらず、なかなかうまくいっていないのが現状である。

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